林芙美子記念館 [東京]
金持ちの道楽といえば「着道楽」・「食道楽」・「かに道楽」……いや「普請(ふしん)道楽」と、相場が決まっている。(笑)
「かに道楽」なら大して金持ちじゃなくても行けるけど、「普請道楽」となると並大抵の道楽者では手も足も出ない。
えっ! カニだけに手も足も出ないって?
……と、ダジャレを飛ばしたつもりでしたが、カニだからこそ手も足も出るんですね。(笑)
はい。
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おっと、新年の挨拶を忘れてましたが、皆様、あけましておめでとうございます。
去年は分け合って、いや、訳あってたった二つしか記事を書いておりませんが、宗男は確カニ生きておりました。(笑)
一年振りの「建築日誌」、どうぞよろしくお願いいたします。(ぺこり)
↑ 生活棟 「小間」外観
↑ 生活棟 「小間」外観
↑ アトリエ棟 「アトリエ」トップライト外観
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さて、『放浪記』でおなじみの作家・林芙美子も、相当な「普請道楽」であったという。
林芙美子の名前は知らなくても、森光子が2000回でんぐり返し、いや、2000回上演した『放浪記』のことはよくご存じだろう。
そう、ランニングシャツの小太りの男が、おにぎりをもらう話……いや、違いました。
自身の日記をもとに、戦後の暗い東京を生き抜いた、その放浪生活を書き綴った自伝的小説です。どんでん返しはありませんが、でんぐり返しが有名ですね。(笑)
その林芙美子が、長い放浪生活を終えて、下落合に数寄屋風の住宅を普請したのは昭和16年(1941年)のこと。 『放浪記』でデビューして以来、13年が経っていたという。
13年も放浪すれば、家の1軒くらい建つ時代のこと。
いや、そんなことはありませんね。(笑)
『放浪記』はベストセラーとなり、その後の文筆活動も盛んに行ったおかげで、よく働いた結果の自分へのご褒美でした。
↑ 中庭 「勝手口」・「土間」 外観
↑ 外壁
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昭和14年(1939年)秋、ここから林芙美子の「普請道楽」が始まる。
まず彼女は家を建てるにあたって、参考書を2百冊近く読み漁り、材木や瓦や大工についての知識を得たという。
なんと2百冊とは、夏休みに読まなければならない新潮文庫の百冊の2倍である。(笑)
「ドリームハウス」も「ビフォーアフター」もやっていない時代、これほど施主に勉強されては設計者としては困ったもんだが、あろうことに彼女は建築家の山口文象(ぶんぞう)にその設計を依頼する。
山口文象といえば、当時近代建築の名手で、得意分野は分離派系のモダニズム建築である。
ん?
なぜにモダニズム建築を得意とする建築家に純和風の住宅建築を依頼したか?
その真相は定かではないが、とにもかくにもこの建物の設計者は表向きには山口文象となっている。
確かに山口文象の父親は清水組の大工の棟梁であり、一時期文象も親父の後を継ぐべく清水組に入社している。本来和風建築はお得意分野であるが、彼は林芙美子邸をはじめ、和風建築の作品を専門誌へ発表することをなるべく避けたという。
う~ん、これはわからないでもない。
本当は和風が得意だけれども、俺はもっと大きな仕事をしてるんだ!
ってな意気込みでしょうか?
実際、担当者は角取廣司という入社4年目くらいの人物があたり、その後もっと若い人物が引き継いだとされる。(笑)
まあ、設計者の名前ってのは事務所の代表者の名前であって、実際の担当は別の人っていう例が多いですからね。
ちなみに、山口文象は当時山口蚊象と名乗っており、事務所名も山口蚊象建築事務所である。
蚊と象ではあまりにもコントラストが強すぎたのか、林芙美子邸の完成後は、山口文象に改めている。
↑ 生活棟 「茶の間」内観
↑ 生活棟 「茶の間」広縁
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この家のコンセプトは、「東西南北風に吹き抜ける」家である。
実際いたるところに開口部があり、すきま風、いや通風の良い快適な家であることがうかがえる。
客間には金をかけないで、自分の使う茶の間と風呂と台所と厠には十二分に金をかける。(笑)
これは、芙美子が切に願ったことらしく、この実現のために、彼女は設計者や大工の棟梁を連れて京都の寺や民家を見学している。
それはともかく、この建物、まずはその配置プランに驚かされるのだ!
実は建物は2棟あって、中庭を介して生活棟とアトリエ棟に大きく分かれている。
アトリエ棟とは、内縁の夫・緑敏が画家であり、そのアトリエを含む部屋と、芙美子の書斎・書庫・寝室などから構成される。
生活棟とは、玄関・客間・茶の間・台所・浴室など生活に関した部屋で構成される。
厳密に言えば、書斎も寝室も生活に関した部屋であるが、まあ、パンフレットにそう書いてあるのでお許し願いたい。(笑)
当時は資材不足のため「木造建物建築統制規則」というものがあった。
あの前川國男邸でもそうであったが、総床面積が100㎡(30.25坪)以上の住宅建築は建てられなかったのだ。
きな臭い時代の規制なので致し方ないが、ここでは2棟を芙美子と緑敏の名義に「分離」して、それぞれ100㎡に満たないように建設した上で、その後勝手口と土間とをつなげて一つにするという「あと工事」、いや、アクロバット工事を行っている。
なるほど、これで「分離派」の山口文象に頼んだ訳が分かった。(笑)
↑ アトリエ棟 「寝室」内観
↑ アトリエ棟 「次の間」内観
↑ 生活棟 「台所」内観
↑ 生活棟 「浴室」内観
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外壁の腰壁には杉材の皮を使用するなど、さすがにセンスがいい。
上壁は鉄粉が混じった土壁で、柔らかい錆びを帯びたいい雰囲気を醸し出している。
台所は『放浪記』だけに、もちろんホーローキッチン。
……かと思ったが、今では出来る職人がほとんどいない「人造石研(と)ぎ出し」、通称「人研ぎ」(じんとぎ)の造り付けであった。(笑)
風呂場も腰壁がタイル貼りで、小壁がヒノキ板張り、天井は竹天井、浴槽も落とし込みの総檜である。
宗男もこれを真似た浴室を設計したことがあるが、その後が怖くて竣工以来見たことがない。(笑)
写真にはないが便所も水洗便所で、当時としては珍しい浄化槽も備えているという。
寝室の次の間には、インド更紗を貼った置き押入れがあり、とても放浪者の家とは思われないほど贅沢である。
これに比べて客間は陽の当たらない質素な部屋で、あまり質素なものだから写真を撮り忘れた。
記者たちはこの薄暗い部屋に閉じ込められ、原稿が上がるのを待っていたという。客間には金はかけないが、鍵はかけていたらしい。……いや、うそです。(笑)
使用人室には作り付けの2段ベットがあり、ここだけやけに機能的である。
この辺は、山口文象の発想であろうか?
唯一洋風の部大部屋である緑敏氏のアトリエは、ブラインドの付いた大きなトップライトが圧巻である。下落合は多くの画家が住んだところだが、他のアトリエとは少し趣が違い、和洋折衷のテイストを含んでいる。
↑ アトリエ棟 「アトリエ」内観
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そのほか、詳細を語ってはきりがないが、作家の自邸としては相当贅沢なあつらえである。
「普請道楽」そのもの。
生涯住む家として、また、執筆活動に集中する仕事場として、芙美子がこの家にかけた情熱には敬意を表する。
昭和26年(1951年)47歳で亡くなる芙美子であるが、この家にはたった10年しか住んでいない計算だ。
それでも、充実した10年間であったことが、建築を通して随所に伝わってくる。
葬儀の際、川端康成が次のような挨拶をしたとされている。
「故人は自分の文学生命を保つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、あと二、三時間も経てば故人は灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうかこの際、故人を許してもらいたいと思います。」
う~ん。
どれだけ、ひどいことをしたのだろう?
川端先生、もう少し気を使ってもよかったのでは?(笑)
↑ 「石蔵」 内観
↑ 生活棟 「玄関」 袖壁
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『林芙美子記念館』
昭和16年(1941年)竣工。
設計:山口蚊象建築事務所。担当:角取廣司、遠藤氏。
施工:棚田工務店。
大工:渡辺棟梁。
場所:東京都新宿区中井2-20-1
参考:林芙美子記念館図録(新宿歴史博物館編集)
おお~、宗男議員だ。
生きておったか
それは、嬉しい限り。
今年は、もう少し宗男節を炸裂させて欲しいですな。
by 八犬伝 (2014-01-05 18:09)
>八犬伝さま
お久しぶりでございます。
はい、宗男は生きておりました。
八犬伝さまも、お元気のようすで何よりです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
>はせおさま
ナイス、ありがとうございました。
by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2014-01-05 19:58)
宗男先生が復活だ~。「放浪記」ならぬ「獄中記」の連載かと思いきや、やはりしっかり建築ブログでしたね。宗男先生が活動を潜めている間にワタクシは関西へ流れ、ブログの内容も近代建築から京都禅寺庭園めぐり及び聖地巡礼へと変節してしまいました(笑)
by opas10 (2014-01-05 23:52)
>kontentenさま
ナイス、ありがとうございました。
>opas10さま
大変ご無沙汰しております。
はい、「獄中記」にしようと思ったのですが、それは大っぴらには話せないことなので。(笑)
本年もよろしくお願いいたします。
by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2014-01-06 01:25)
わぁぁぁぁぁっっっ! 宗男氏が生きてた~~~っっっ( っTωT)←嬉し泣き
by 二兎丸 (2014-01-06 18:50)
>tochiさま
ナイス、ありがとうございます。
>MORIHANAさま
ナイス、ありがとうございます。
大変、ご無沙汰しておりました。
本年も、よろしくお願いいたします。
>makimakiさま
ナイス、ありがとうございます。
>二兎丸さま
大変ご無沙汰しております。
はい。
宗男は生きておりました。
どうぞ、泣かないでください。(笑)
by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2014-01-07 03:11)
あけましておめでとうございます^^
含蓄ある記事を楽しみにしているのです。
今年も宜しくお願いします・・・なんて、次は来年だったりしてw
by imarin (2014-01-08 09:11)
ゥワ~~^ \(^o^)/お久し振り振り コンニチハ~♪ (笑)
それにしても 長々と 良く冬眠なさって居られましたね (笑)
でも 時々思い出しては ポチッ! と飛んで来たものの
一向に不明の儘 これで一応安堵しました。 お元気で何よりです
何方か↑ で 云われて居る様な 所謂 ”壁の中”? とは
想像だにして居りませんが もしかして 海の向こう等へと
飛んで行ってしまわれたのかしら・・ アレコレ思い浮かべて居りました
久し振りの建築記事 大変楽しく拝読いたしました
建築分野での専門的な事柄は 全く異なる立場に居る者からすれば
チンプンカンプンで まして弱い頭 故に どうにも難しくオモシロクナイ
と 云うのがお決まりですけど 流石宗男さん すっかり乗せられて
オモローイ 楽しい~~い 素晴らしい~~い \(^o^)/ です
で ゆっくりで結構です お忙しいい時間を割いて なるべく記事更新
よろしく お願い 申し奉ります(笑) <(_ _)>
by まつみママ (2014-01-08 18:06)
おんやあけましてご無沙汰ぶりでございます*
わたくし「かに道楽」も無理.
立って半畳寝て一畳の精神でまります.
*本年もよろしくお願いいたしますぅ*
by 高穂 (2014-01-09 17:07)
>imarinさま
大変ご無沙汰しております。
いや~、その~、来年にはならないように頑張ります。(笑)
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
>まつみママさま
はい、長々と塀の中……いや、冬眠しておりました。
やっぱり、娑婆の空気はうまいですね。(笑)
どなた様にも笑っていただけるように、創意工夫しております。
中には嘘も混じっておりますので、どうぞお気を付けください。(笑)
なるべく行進、いや、更新するように進行いたします。
>高穂さま
あけましておめでとうございます。
いや~、宗男もかに道楽は一度しか行ったことがありません。
いくら道楽というお店はないようですが、いくらなら、いくらかましでしょうか?(笑)
by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2014-01-10 18:22)
あれ?昨日のコメントが入っていない…
宗男議員、復活に出遅れました~。
林芙美子の罪、としては、「尾崎翠が死んだ」とウソ流したことがありますね。故郷の山陰で生きてたのに…。
by ヴェルデ (2014-01-12 13:11)
お久しぶりです~♪ おめでとうございます(._.)
さすがの冴えたダジャレで、宗男さんと確認しました。
今年もよろしく お願いしますm(__)m
by aya (2014-01-12 23:26)
>ヴェルデさま
so-netのほうで、コメントするときに認証制度ができたみたいです。
しばらく使ってなかったので、どう設定していいのかわからず……
プロバイダによっては、うまく投稿できない場合があるようです。
そうなんですか?
林芙美子は、そんなデマを流したことがあるんですね。(笑)
>ayaさま
こちらこそ、お久しぶりです~。
そうですか?
宗男本人と、ご確認いただけましたか。(笑)
本年も、よろしくおねがいいたします。
by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2014-01-13 03:07)