四稜郭 [函館]
前回の記事「箱館奉行所(五稜郭)」では、何にもないことをいいことに四稜郭を話の枕で済ませてしまった。
しかし、このまま雪に埋もれてしまっては四稜郭に大変申し訳ないので、改めて記事にしたい。
とはいえ、やはり何にもないことには変わりがないのだけれど、何にもないようなことが、幸せだったと思う~♪
なんて歌もあるようだから、何にもないような四稜郭を、何にもないなりに書いてみる。
まずは、TOPの写真!
いい感じで、何にもないですね。(笑)
箱館奉行所(五稜郭) [函館]
函館に「五稜郭」があるのは有名であるが、「四稜郭」(しりょうかく)というものがあるのをご存じだろうか?
いえいえ、嘘ではありません。
地元の人ならば、小学校の遠足などで一度は出かけたことがあるはずです。
この「四稜郭」、「五稜郭」と同じ洋式築造法にならって当時の蝦夷共和国、いや旧幕府脱走軍が築いたもので、明治2年(1869)の竣工。
京唄子の旦那、鳳啓介が設計したと言われ……
ん?
いや、旧幕府脱走軍 陸軍奉行の大鳥圭介が設計したとも言われ、その形は蝶が羽を広げたように四角い「四稜」の形をしている。
「五稜郭」から約3km離れた丘の上にあり、歴史上すこぶる貴重な史跡なのだ。
★
すこぶるといっても、何もコワモテの旦那のように「すごぶる」わけではない。
昭和9年(1934)、国指定の史跡となるものの知名度は低く、ずいぶんと扱われ方がぜんざい、いや、ぞんざいであった。(笑)
それもそのはず。
ここは、一般の観光客にとって何一つとして見どころがないのだ!
蝶の羽といわれても、上から見て初めてその形がわかるのだが、近くに見下ろすような高い建物は何一つない。
いや、築造以来、未だかって高い建物などあったためしがなく、その姿はナスカの地上絵のごとく神か鳥にしか判別できない。
売店もない。
お堀もない。
言ってみれば、ただの土手。
何もないのは襟裳岬だけではなかった。
この「四稜郭」こそ、正真正銘の ♪ なにも~ない~ 観光地なのだ!
それがこれ ↓
太刀川家住宅店舗・洋館 [函館]
ここは、どこ?
わたしは、だれ?
うっ!
…………………
気が付くと、もう夏も終わろうとしている。
新聞を読むとのりぴーが大変なことになっているし、芸能界は白い粉騒ぎで大わらわ。
大原麗子も、山城新伍も鬼籍に入ったと聞く。
巷では新型インフルエンザが猛威をふるっているということだし、何とかボルトと言う選手がものすごい記録で走ったとみんな騒いでいる。
すでに政権は民主党に変わっているし。
いや、これはまだちょっと気が早いか?(笑)
とにかく、今年初めての日記更新です。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
宗男でございます。
たいへん、お久しぶりでございます。(ぺこり)
ようやく、冬眠から目が覚めました。
中華会館 [函館]
このところ、ミシュランガイドなるものが話題に上っている。
はじめ聞いた時、「見知らんガイド」と聞こえたのは宗男だけでしょうか?(笑)
なんでも、覆面をかぶった調査員が、カタコトの日本語で、鉛筆なめなめ、メモを片手にお店に現れるという。(←かなり風評にだまされている)
店側は☆が欲しいので、サービスを良くするとも?
これからは覆面をかぶってレストランへ入れば、誰でも一流のサービスが受けられるかもしれない。(笑)
いえいえ、よい子は決して真似してはいけませんよ。
特にコンビニや銀行へ行く時には、覆面を取ってから入りましょう。(笑)
旧丸井今井百貨店函館支店 [函館]
丸井といえば、赤いカード!
と、言ったのは二昔も前のこと。……
今ではこの赤いカード、すっかりサッカーのレッド・カードにお株を奪われている。(笑)
♪ クレジット っで ボンジュール~
若いあなたの 宝屋っ ♪
す、すいません。(汗)
この歌はローカルすぎて、誰もわからないですね。(笑)